落語会のお知らせ

『大善寺寄席』

日 時 : 2012年5月26日(土) 14時開演

場 所 : 大善寺

      四条河原町より南へ5分

出 演 : 桂文福・笑福亭円笑・林家染雀・笑福亭飛梅

木戸銭 : 前売¥2,000- 当日¥2,500-

お問い合わせ : 大善寺 075-221-6530

『わら天神寄席』

日 時 : 2012年6月2日(土) 14時開演

場 所 : わら天神

      市バスわら天神より北へ2分

出 演 : 桂きん枝・笑福亭円笑・桂米紫・笑福亭呂竹

木戸銭 : 前売¥2,000- 当日¥2,500-

お問い合わせ : わら天神 075-461-7676

『船場寄席』

日 時 : 2012年6月14日(木) 18時15分開演

場 所 : 船場センタービル内

出 演 : 笑福亭円笑・桂三馬枝・露の雅

木戸銭 : 一律¥800-

お問い合わせ : 06-6260-1800

『天満・天神 繁昌亭 昼席』

日 時 : 2012年6月25日(月)~7月1日(日) 13時開演

場 所 : 天満・天神繁昌亭

出 演 : 林家染丸・笑福亭呂鶴・桂春駒

      笑福亭円笑・桂塩鯛・桂九雀

木戸銭 : 前売¥2,000- 当日¥2,500-

お問い合わせ : 天満・天神 繁昌亭 もしくは お近くのチケットぴあ

『健康寄席』

日 時 : 2012年7月8日(日) 14時開演

場 所 : 創健堂整骨院

      市バス衣笠校前より北へ2分 平野神社斜め南

出 演 : 桂文福・笑福亭円笑・桂三弥・林家染太

木戸銭 : 前売¥2,000- 当日¥2,500-

お問い合わせ : 創健堂整骨院 075-461-7636

『天満・天神 繁昌亭 笑福亭円笑落語会』

日 時 : 2012年7月11日(土) 14時開演

場 所 : 岐阜市文化センター

      JR岐阜駅より高島屋方面8分

出 演 : 笑福亭円笑・笑福亭伯枝・笑福亭仁昇・森乃石松

木戸銭 : 前売¥2,000- 当日¥2,500-

お問い合わせ : 岐阜市文化センター 058-262-6200

『笑福亭円笑落語会』

日 時 : 2012年7月26日(木) 18時半開演

場 所 : 天満・天神 繁昌亭

      市バス衣笠校前より北へ2分 平野神社斜め南

出 演 : 笑福亭円笑・桂米二・林家染雀・桂団治郎

      幸助・福助(漫才)

木戸銭 : 前売¥2,000- 当日¥2,500-

お問い合わせ : 天満・天神 繁昌亭 もしくは お近くのチケットぴあ

『大善寺寄席』

日 時 : 2012年8月24日(金) 18時半開演

場 所 : 大善寺

      四条河原町より南へ5分

出 演 : 桂雀三郎・笑福亭円笑・桂文鹿・桂鯛蔵

木戸銭 : 前売¥2,000- 当日¥2,500-

お問い合わせ : 大善寺 075-221-6530

ぜひ、お越し下さい!

2012年5月17日 (木)

落伍者の噺・咄・話<稽古>其の一(前編)

 物を覚えるには落語の稽古に勝るものはない。人間国宝の桂米朝師匠がそう言って居られますが、正にその通りである。と私も思います。
 お客様や知り合いの方から「落語はどうやって覚えるのですか?」とよく質問されます。我々伝統芸能の社会では「口伝(くでん)」口から口へと伝えて行く。それが稽古なのです。
 尤も稽古のやり方も次代の流れでしょう。随分変わりまして「口伝」に依る昔風の稽古もだんだんと少なくなって来ました。されば其の稽古とは俗に「三番稽古」と申しますが、師匠や先輩方が覚えたい噺を続けて三回目の前でやって下さいます。「さァ、やってごらん」
 出来る訳が無い。自分が覚えたい噺はその師匠やどの先輩が大層得意としているとか面白いとか、例え下ッ端であっても同業ですからその程度の事は承知して居ります。
 別に郵便で申し込む訳ではない。教えて戴こうとする師匠・先輩の処に直接お願いに上がります。別に菓子折りの下に小判を敷く訳ではない。OKを頂戴したら指定された日時に御伺いします。
 浴衣・手拭・扇子・帯を必ず持参する。稽古の時は勿論正座。稽古を付けて下さる側は座布団に座っても、付けて貰う側は直に畳に正座する事があっても当たり前と考えてます。

2012年5月10日 (木)

落伍者の噺・咄・話<入門>其の三(後編)

 正直、内弟子期間中に自由はありません。休暇もない。三食だけは間違いなく頂戴できる。入門して一年目はこうした日々です。これが二年三年すると自分自身も慣れてくるし要領も覚える。
 それと師匠の下に入門したとは言え、師匠にもご家族がある訳ですから、師匠のみならず奥さんなりお子さんなり、お犬さんなりお猫さんなりにも気を遣い、そうした事に関わるエトセトラをこなす必要があるんですネ。
 言ってみたら内弟子生活とは、その世界の第一歩が仕込まれ覚える、また、芸人生活での立ちふる舞いというか仲間内での存在を認めて貰う。当然の事ですが、内弟子期間中は仕事がありません。仮に仮にたまさか依頼があったとしても師匠の許可がないと受けられない。受けてはいけないのです。
 従って内弟子修業中は三食付きの無給状況と思わねばなりません。しかし、昔風の完全内弟子制は今ではありません。通い弟子ですネ。師匠の近くにアパート(今の人は立派なマンション住まい)借りて通うから家賃も必要。ですから師匠のスケジュールに合わせて空いている日は何処かバイトに行って生活費の一部を稼ぎます。
 但、我々の世界では師匠・先輩は後輩に対してのメシ代だの飲み代は払って下さいますから、そうした点は後輩がいい時もありますが…何にしても内弟子修行中とは自由のない辛抱辛抱ひたすら我慢の時代なり、でして。だから修業と言うんでしょうナ。

2012年5月 2日 (水)

落伍者の噺・咄・話<入門>其の三(前編)

 入門して年空け(師匠の許可が出て内弟子修行が終わる事)は夫々の一門で違います。師匠次第で決まります。だいたい2年~3年が内弟子修行期間です。
 これも師匠の意思に依りますが、何年なら何年ときっちりと決められている師匠もいらっしゃれば、うちの師匠のようにバラバラの年数も有ります。私の場合約4年近くの内弟子生活でした。
 今になるとその当時の事は実になつかしくも楽しくも思います。しかし当時としては、いや早や辛いのなんの。聞くも涙・語るも涙です。前回でも書きました通り師匠は絶対。内弟子はゴミみたいなものですから。
 食事一ツ例にとっても、師匠の仕事に合わせますから、別に朝は何時に昼は何時に食べるとは決まっていない。寝るのも同様です。師匠が御贔屓の方と一杯飲んで遅い帰りなら帰る迄待たねばならない。
 三度・三度の食事がキッチリ食べられないから辞めた、なんで弟子もいました。食事の支度から後片付・掃除そして車の運転等々。勿論付き人なんて言うと恰好いいですが正にカバン餅の雑用係。
 また、対師匠だけでなく、例えば寄席の楽屋入りをしたとしましょうか。そうすると他の一門の師匠さん方や先輩に対しても心くばりをすると共に着物をたたんだり雑用をこなします。中々師匠や先輩方のハナシを聞いて勉強する所までは行きません。

2012年4月26日 (木)

落伍者の噺・咄・話<入門>其の二(後編)

 また此の呼称は即ギャラとも関わって参ります。何かの折に集ったりしても座る席もそうした順になります。之は一門だけの事でなくオール落語家としての序列になります。別にテレビに出ている出ていないとか、学歴(東大・京大・阪大出だろうが)年齢に一切関係ないのです。生涯続きますヨ、生涯。
 それと師匠と言う呼称ですが、我々仲間内の常識としては、その方に弟子がいるいないに関係なくキャリアが15年以上開いていたら“兄さん・ねェさん”ではなく“師匠”と御呼びすべきですし、まァだいたいそうですネ。
 無論総て師匠の指導に従う「一に師匠 二に師匠 三・四が無くて五に兄弟子」と言う社会ですから、総て師匠の意に従うものです。言うなれば師匠は会社で申す所の社長です。サラリーマンだッて社長令に従って働く訳ですから。
 前述の通り、伝統文化の中には一般の方から見ると妙な言動があるでしょう。例えば挨拶ですネ。我々社会の挨拶はお逢いしたら「おはよう御座います」と来る。朝でも昼でも夜でも「おはようさん」とか「おはよう御座居ます」と来る。
 帰る時など「お先に失礼します」「お疲れさん」と来る。道で同業者が出逢ったりすると「おはよう御座居ます」色々立話して別れる折には「お疲れさん」疲れる程仕事をしてないのに「お疲れさん」
 まァこうした内容を耳にしただけでも「まとも」な業種じゃァないネ。これを見る皆さんもそろそろ「お疲れさん」
 

2012年4月19日 (木)

落伍者の噺・咄・話<入門>其の二(前編)

 晴れて入門。私達の世界は表面上新しい部分はあっても、伝統文化の社会ですから、世間から見たら「あれ?」と思われる部分が数多くあります。こうした事は先人の多くの方々が積み重ねてこられた素晴らしいものです。
 そして、伝統文化に関わる者としては欠く事の出来ないものですし、また至極合理性に富んだ内容の事柄が数々あります。更に、現代社会に欠けている部分を掘り起こして訴えると言うか復活させて貰いたい部分があります。
 よく言われる事ですが「師匠が黒い鳥を白いと言えば白い鳥なのです」
そんな馬鹿な。黒は黒だし白は白じゃァないか。それに何故そうした物理的にも正しくない事を甘受する必要があるのだ。と現代ッ子は言う筈。
 そうではないのですネ。一ツには我慢・辛抱と言う部分です。今の世の中は物心両面その他日本は何不自由ありません。喰い物だッて一日の捨てる量ったら大変な嵩になります。その日の食事もろくすッぽ食べられない国も沢山ある。
 言論も自由ですネ。ですから却って妙な平等とか妙な人種が拡大する。まァ難しい話をする柄ではありませんから、こうした噺はさて置き、目上の人に対する礼儀とか我慢する事を嫌と言う程叩き込まれます。
 入門が一日でも早い先輩ならば、男の人に対しては兄さん・お兄さん・兄貴との呼称になります。私であれば後輩は円笑兄さんと挨拶します。女性の先輩であればねェさんとなる。この先輩・後輩の呼称は一生涯付いて廻ります。
 

2012年4月12日 (木)

落伍者の噺・咄・話<入門>其の一(後編)

 所で今は草食系とか肉食系とか言われ、何か総じて男子の方が弱々しく思われている時代(現にそうなんでしょうが)
あたしん所へ来た某君なる男子。お母さんが寄り添いまるで受験に付いて来る御局ママ。「先生(あたしの事ですヨ)の言う事よく聞いて…」これ見ただけで、こりゃァ駄目だ。と思いました。自分の一生を決めるのに一人で飛び込めない輩ではハナからいけません。長続きする筈がない。テレビに映し出される映像見たり寄せでお客さんの前で阿呆な事言ってる姿だけ見て、あれなら俺も出来ると思うのでしょうか?
 所がどっこいそんな甘いものではありません。別に芸人に限らずどんな仕事でも一緒です。しかし正直我々の商売は特殊な分類になる。昔、と言っても昭和の20年代位までは芸人・歌手・役者あるいは囲碁将棋の棋士等々、社会において非生産的仕事をする者は親もそうだし世間も歓迎してなかったんです。
 それが時代変遷ですネ。世は正にマスコミ時代。いとも簡単にスター扱いされたりメディアに出るものですから「あ~あ いい商売」と思うのでしょう。
 我々上方落語協会員も今や約250人。東西併せると1000人にはなりましょう。減るどことかもっともっと増えて行く癌細胞ですネ。正直多過ぎます。
 

2012年4月 5日 (木)

落伍者の噺・咄・話<入門>其の一(前編)

 よく、お客様や知り合いの方から「落語家になるにはどうやって入門するのです?」と聞かれます…が、実は至って簡単です。別に履歴書を書いて身元保証人を連れていったり何人かの前で面接する訳ではありません。無論入門金など不要。
 この落語家の弟子になりたい!!
そう決心したらその人の所へ行って(寄席より住所などを調べて)「弟子にして下さい、お願いします」だけ。尤も取るか取らないかはその師匠次第です。別に入門が許されたからと言って雇用契約を結ぶものではありません。
 但し、ご両親の許可なり、入門する事を知っていますか?これ位は必ず聞かれますし、後日師匠の所に親を連れて行く。まァこんな所ですか。私も師匠(六代目 笑福亭松鶴)に入門するに際して、ご自宅調べて環状線桜ノ宮~住之江の六ヶ月分の定期券購入して、毎日毎日通う。六ヶ月の間伺ってそれで駄目なら仕方がないからあきらめる。
 そう決心して通いましたが、何と3日目にしてOKを戴きました。
入門の可・否は何か運めいた部分もありますネ。例えば師匠の期限が悪くて×印になったり。弟子入りが続くので一丁休む…とか、何か感性的にしっくり来ないので断る等々。運もありましょう。
 あたしの兄弟子の鶴光兄さんなんぞ往復ハガキで「俺を弟子にするのかしないのか○印付けて返事を」なんてユニークな入門希望者もいた。こうした事に対し、実に無礼なと思われる師匠もいるでしょうし、何んやおもろい奴や、と了承する師匠も居る。内の師匠は後者でしたが。

2012年3月29日 (木)

笑福亭円笑の艶笑的小咄 ---川柳考---

 大震災と言う予期せぬ天災が発生。正に、寺田寅彦ではないが「天災は忘れた頃にやって来る」
 地震にちなんだ落語ッてあるんでしょうか?
こんな質問を受けます。米朝師匠のように、根多(ネタ)を沢山持っている訳でもなし、博学でもなし、困ります。それでも小咄は二ツ三ツ知ってまして・・・

  新世帯 今日も箪笥のかんが鳴り

現代の箪笥は引き出し式。かん(つまり輪ッかですが)付きのもの等、全くと言っていい程ありません。
新婚サンと申せば、今も昔もすることは一緒。余り激しいと、箪笥のかんもカタカタ鳴る。ついでに嫁サンのよがり声も…と言う訳でして。
激しい地震でも箪笥のかんがカタカタ鳴りますな。

 「お花ちゃん、まァ、ゆンベの地震の激しかったこと」
 顔を染めた新妻。
 「あら嫌だおばさん。私一人のせいじゃァないの」

長屋の井戸端で、朝、顔を合わせる長屋の風情が実によく出てます。
一般庶民は、俗に九尺二間の棟割長屋の薄壁生活が当たり前。今日で申せば四畳半と六畳と思えば宜しい。トイレは長屋の者共同で使うんです。この川柳は、当時の庶民の生活なり新婚さんの様子を実にうまく表現してます。

 これも、新婚間もない夫婦の話。嫁サン、オナラがしたくて仕方ない。

  新妻は 一ツのオナラを四ツに出し

新婚当時は、何事にも恥じらいもあるし嫌われたくない。オナラをするんでも小出しにする。それが貴方、何十年も経って子供も出来ると、寝ている亭主の顔は平気でまたぐ。食事中でも放屁をする。

 「おい、いい加減にしろ。第一子供の教育に悪いだろう」
 「何いってんのよお父さん。健康な証拠よ」

と、あっさり亭主の方が寄りきられる始末。
さて、この新妻、辛抱たまらずブーとやった。亭主は寝てるけど、まさか聞こえやしまい。でも気になるし。

 「ねェ、起きてよ。起きて頂戴」
 「うん、何んだい」
 「今、大きな地震があったのよ」
 「大きな地震。そりゃあ気がつかなかったな。その地震、屁の前か後かい」

亭主に言われて嫁さんの心境やいかばかりや。

 地震・雷・火事・おやじ。恐いものの代名詞を並べた格言でした。今では、おやじがこの中で一番権威が低下。いつ頃から低下したのやら。
 給料が振込制になってからだ、と言う人も多い。額の多少にかかわらず、給料日に亭主がカミサンに渡す。一ヶ月ご苦労様と言う気になる。
これが振込になると<額>ばかりが目立って有難味が薄れて仕舞う。
何事も便利すぎると具合の悪い点も出て来るもの。

  残不足補うだけのお給料

  予定表小さく書き込む給料日

  ボーナス日裏かえせば返済日

サラリーマン諸氏の川柳から取り上げましたが、昇給・賞与・人事はサラリーマンにとって大いに気になる所。恐いものは、地震・雷・火事・女房に変化したようで御座います。
 地震から離れて雷の小咄を一つ。

 「お母さん、雷ッて電気で起こるんだッて」
 「そんな事ありませんよ」
 「だって、フランクリンと言う学者が証明したんだよ」
 「馬鹿いうんじゃァありません。ランプの時代からありましたよ」

本日はこの辺で失礼致します。

2012年3月22日 (木)

捕鯨再開運動に関わって(三)

 国内にも反対派がいます。日本文化を破壊しようと目論むテロ組織にも似たグリーンピースジャパン。グリーンピースジャパンなどは、そのホームページで非暴力を謳歌している一方で、日本の調査捕鯨船に対して体当たり攻撃をする。こうした繰り返しは暴力ではないのか。この背景にある者が、野党議員を関わりのあるセンセイ方が鯨料理に舌鼓を打って参加している。一部のセンセイ方には、信義も何もあったものではありません。超党派の議員先生を集めるよりも、若者への鯨集会の方が効果が倍増するのでは・・・と。
 食としての鯨でない物。実に沢山町に湧き出ています。Tシャツ・シール・写真立て・・・枚挙にいとまがありません。今だって、彼等と鯨の接点は多くある筈。そこに、食としての鯨を注入する。鯨かつのハンバーグなんか、若者達にとって安くて旨い。目を輝かすでしょう。今の若者は食としての鯨を知らない。食べる機会がない。兎にも角にも、次代に若者に、例え機会が少なくとも、定期的・継続的に参加して貰う行為が欠かせないでしょう。
 マスコミも、捕鯨ニュースと言えば、IWC総会前後だけのこと。たまに流れるものと言えば、ホエールウォッチングの素晴らしさや、浅瀬に打ち上げられた鯨が助けられた。こうした、感動や賛美のみが放映される。食料資源としてのニュースはそこにない。食としての資源確保であるなら、IWCを脱退すれば済む事であろう。しかし、その後日本バッシングは色々な形で現れて来るし、その内容も政治・文化・環境・教育等々、内外からシャワーの如く降って来る。
 そうした場合でも、背景に大衆の理解や行動が伴っていなければ恐れることはない。残念ながら、今の行政・鯨関係者の行動・PRでは、とても太刀打ちは不可能と思える。今からでも遅くない。業界・支援団体・行政が三位一体となって英知を絞って“大衆参加”に関する体制作りをして戴きたい。大衆を等閑した活動は、目的達成にほど遠いものになる。
 私達の落語もしかり。テレビ・ラジオ等々マスコミで活躍する人も必要です。一方で、地道に町の片スミで寄席を開催する落語も大切なのです。映像を通じても楽しみ。生の芸・生の付き合いや口コミも不可欠な行動です。こうした表裏一体を継続すればこそ「古典落語」は維持されているのです。
 捕鯨に関わる者の一人として、これは批判ではなく反省と提言でもあります。多くの日本文化が、単なる社会構造の変化で消滅させてはいけません。日本人として後生の人々に対する責任と捉えるべきと思います。

2012年3月15日 (木)

捕鯨再開運動に関わって(二)

 次に、鯨に関わる料飲店の方々なり、その他の関係者及行政の人が参加する。当然です。鯨が獲れなければ困るのは関係者ですから、熱心になるのも当然です。野球やサッカーではありませんが、外野席の応援があってこそチームも強くなるし、相乗効果が達成されることになります。次代の担い手の参加が少ない点、また若者だけを対象とした“鯨の集い”があってよかったのではないかと・・・今にして考えます。ですから、外部(特に外国人なんかは)の人々は、捕鯨捕鯨と言うけれど、それは一部の声であって、若い人は鯨のくの字も要求してないと。
 反対派の視点は案外的を得ていたのです。しかも、若い人々に対し、独自のアンケートを取ったりして(給食なりに鯨は出なくなってしまったから、当然鯨のことに関心は向いていませんし、フード食に気を取られていましたから)“若者は鯨を要求していない”と。
 超党派捕鯨議員連盟。この連盟が何処まで真剣に鯨に取り組んでくれているのか。甚だ疑問であります。セレモニーの絵づらとしては非常にいいでしょう。しかし、自民党から共産党に至る迄、当日鯨料理は食べに来ても、捕鯨再開への情熱は関係者が抱く程ではありません。不司な表現ですが、鯨は政治資金につながりません。
 これは、何も鯨に限りません。漁業全体・農業などは日本の産業から遠く離れて行ってます。却って、大洋漁業と言えば、人も知る漁業の大手、経済界を代表する企業であり、政治資金の良き提供者でもありました。横浜ベイスターズの前身は大洋ホエールズです。残念ながら、今の経済会のリーダーの中で漁業代表が何人いるでしょう。中部銀次郎さん的な人はいません。セレモニーとして議員諸氏は出席しても、再開への熱意や情熱は極めて薄いのです。大衆を喚起させる方法はないものか。大阪の名物女将「徳家さん」のような方もいらっしゃいます。けれども、総じて行政を含めた関係者の“大衆行動”は不十分でした。