『没前?円笑落語会』
日 時 : 2012年3月26日(月) 18時半開演
場 所 : 天満天神繁昌亭
JR東西線 大阪天満宮駅下車3分
大阪市営地下鉄 南森町駅下車3分
出 演 : 桂きん枝・笑福亭円笑・桂佐ん吉 他
木戸銭 : 前売¥2,000- 当日¥2,500-
お問い合わせ : 繁昌亭 06-6352-4879 及び お近くのチケットぴあ
ぜひ、お越し下さい!
『没前?円笑落語会』
日 時 : 2012年3月26日(月) 18時半開演
場 所 : 天満天神繁昌亭
JR東西線 大阪天満宮駅下車3分
大阪市営地下鉄 南森町駅下車3分
出 演 : 桂きん枝・笑福亭円笑・桂佐ん吉 他
木戸銭 : 前売¥2,000- 当日¥2,500-
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今日、反捕鯨最大の理由は、鯨を環境のシンボルとして捉えている点にあります。ここに至る迄に政治秘話があるのです。ベトナム戦争当時、アメリカはベトナムに大量の枯葉剤を投下したのです。国連で直にこれが問題となり、時のスウェーデンのパルメ首相が緊急提案として、この枯葉剤使用禁止を要求してきました。地球環境を著しく阻害するからです。所が、これに慌てたのがアメリカでした。
大統領選挙を控え、ニクソンが危ない。それでなくとも、ベトナム戦争へのアメリカ国民は厭世的ムードにありました。ちょうど、今の対イラク戦争とも似た部分があります。このままでは、対立候補のマクガバンに敗れる。ニクソン陣営はあせりました。枯葉剤はよくない。地球環境を著しく阻害する。国連のムードも何となく集約されそうな雰囲気の中、ニクソン政権下、国務長官キッシンジャーの戦略が登場します。
この枯葉剤に対抗する地球環境のシンボルとして鯨が取り上げられました。無論、日本はまるで気付きません。あれよ、あれよと言う間に、鯨は地球環境のシンボルとして祭り上げられてしまったのです。対食文化としての鯨論争は彼等に通じません。あるいは、知っていて空っとぼけているのかも判りません。猿や犬を食べる国もあります。キツネ狩りをして楽しむイギリス貴族もおります。食に関わる文化は、各国千差万別なのです。


次に、科学的根拠に基づく話。これも彼等は阿呆な位に駄目と言うか、唯我独尊なのには困ったものです。日本が提出する科学的数値は信用出来ないと言う。それも、日本独自の数値ではないのです。外国の方が一緒に乗船して調査したものまで。しかも、国際捕鯨委員会(IWC)なるものは国連の中の機関です。しかし、この運営費の大部分は日本が拠出しているのです。国連分担金と似ています。
コアラがユーカリの葉を食べる為に、ユーカリの木が全滅しそうだ。仕方ないからコアラを間引きしましょう。この報道に、早速世界各地から反対の意見が飛び出しています。しかし、コアラに限らず、地中上の生物と人間の共生は常にこうした場面を生じて来ているのです。獲れば減少し、保護すると増え続けるのです。無論、単純な理論だけの増減ではない場合もあります。開発の名の下に、乱開発する為に居住地域を失って減少する生物もいます。けれども、圧倒的に見られる例として、獲る減少・保護は増加が多い訳です。科学的数値に多少の疑問があったとしても、約二十年近く捕鯨はされていません。鯨が、全体として増え続けている点間違いありません。種類によって増加率の低いものはあるでしょう。


1993年5月4日、民間人として初めてのNYタイムズへの意見広告の原文です。一言で申せば、鯨を食べて何故悪いのです。貴方達は横暴じゃァないですか。大変な反響で、約二百通程の手紙が私の許に届きました。勿論、大多数は反対意見です。賛成の方は三~四人でした。捕鯨反対の根底にあるもの―驚くべきは人種問題が含まれるのです。人間を分類して、白人を最高位に置き、次に霊長類・有色人類・黒人、と考える輩が今もいるのです。鯨は哺乳類で頭のいい動物。霊長類の分類に入るのだそうです。従って、日本人は白人ではない色付人間。それが、ワンランク上の鯨を獲るのはケシカラン。こんな偏見者がいるんです。
私が意見広告を出した頃、国内で建築疑惑事件がありました。汚職をする国民に鯨を云々する権利はない。従軍慰安婦のような非人道的行為を許す民族に鯨を語る資格はない。資源がどうの、環境問題がどうのと反論する人が余り多くない。正直首をかしげた次第でした。
反対派の人達とは、不毛の対立みたいな事項が随分ありました。一番いい例が文化論です。反対派の急先鋭アメリカやロシア(旧ソ連)には余り文化はないんです。口では色々言いますが、日本や中国に比較したら浅い浅い。それに、繊細な感性は余り持ち合わせていない民族ですから。彼等は、牛・豚・羊などの肉文化です。宗教上の理由で、豚なり牛を食べない国もあります。しかし、彼らは、何かと言うと「牛でも豚でも」神が呉れ給えしもの、で押し通すのです。しかし、鯨は頭のいい哺乳動物だ。だから獲ってはいけません、と。
グリーンピースの一人に言ってやったんです。頭がいい、頭がいいと言うが、ならば毎年毎年いつも同じ場所でつかまるんだってネ。そうしたら「オーノー」と来たもんだ。「私、わかりません」ふざけるな。


鯨の親分が回遊の途中日本に立ち寄った。魚達が挨拶にやってきた。
「遠い所ご苦労様です。長旅でお腹減ってませんか」
「そうだナ。小腹減ったので、おう、ソバでも注文して貰おうか」
「へい、ソバで宜しいのですか。どんなソバが宜しいでしょうか」
「そうだナ。もり(銛)以外なら何でもいいから」
鯨を獲る時に使ったものが銛です。ソバのもりに銛を掛けた小噺。
● ● ● ●
江戸時代の小噺である。鯨は我々日本人にとって長い付き合いの魚だ。食としての鯨でなく、文楽人形の頭の部分には鯨の骨が使用されている。歌舞伎役者の幅広のソデ口、あの部分は鯨の軟骨が使われている。戦前の石鹸の原材料は鯨油であった。
云葉でも代表的なものに“鯨波”がある。鯨波の声を挙げる。勝鯨波を挙げる。古来から使われている。出陣の折、今だ選挙や労働組合など、団結を誓う時に声を挙げる。リーダーが“えい!えい!”と二声。一同揃って“オー!”と叫ぶ。これが正調鯨の声である。鯨は、日本人の生活の中で、非常に親しく身近にあった魚であるが…。
降る雪や、明治は遠くなりにけり
中村草田男ではないが、鯨は遠くなりにけり。なつかしくも忘れ去られようとしている大衆魚が鯨なのだ。捕鯨に向けて、少々ではあるが御手伝いをさせて貰っている。何故、捕鯨再開に力を注ぐのか。理由は至って単純明快。日本の食文化を外国から規制されるのはおかしい。それも、政治的背景の下に行われる。“捕鯨国ニッポン”バッシングだから尚腹が立つ。イタリア人にスパゲティーを喰うな。そう言うのと一緒だ。千年以上鯨と関わってきた日本人。不合理な世界の一部の反対派の食文化の一つが失われて行く。


別に、私は着物屋の回し者ではないが、着物を販売する方々に提言したいことがある。提言ではなく苦言と訂正しよう。先ず、販売する人の大部分が洋服です。しかも、フェンディー・カルティエ・ヴィトン・グッチだと、まるでブランド品評会みたいに着こなしたり装飾品を身に付けている。こうした姿に接すると、売り手の姿勢に疑問を持たざるを得ない。専門の売り子さん(主としておばさんが圧倒的だが)が着物でお見立てする。オーナーが背広でチャラチャラしていると腹が立つ。
これでは、寿司屋の看板を出しながら洋食を食べさせるようなもの。看板が泣くし、これではいけません。いかに良い商品(着物)を提供しても、こうした量見で物が売れる筈がありません。たまに着物を着ている店員さん、特に男の店員さんに多いが、着こなしが下手であったり、角帯が猫じゃらし状態。売る人自身が恰好良くなくて誰が買いますか。
全国に着物屋さんはどれ程あるのでしょうか。この着物屋さん、年に一回でも二回でもいいから“全国一斉”に着物を着る。値引きや色々の特典を与えるのもいいが、着用することの重要さ、着物姿を一斉に披露するのです。正に“着物デー”。出来たら月一回が望ましい。振り袖から普段着まで。着物でもこんなに活動が出来ますよ。日本文化のシンボル着物、この艷で姿を全国一斉に見て貰う。
日本人全員が着ろ、と言う訳ではなく、せめて販売を志す業者、文化の一端を守ろうとする気持ちがあるなら、着物屋さんだけでも、せめて、全国津々浦々着物になりましょう。無茶な企画でしょうか。


京は東寺の弘法さん。毎月二十一日の市で知られている。毎月非常な賑わいを呈する。外国人さんも大勢見えるし、出店する業者も衣・食・住に関わる露店が何軒となく客を呼ぶ。インターナショナルバザールの感があります。外国人さんが着物の古着をまとめ買いし、急ごしらえのテント張り居酒屋で、日本酒を飲みおでんを頬張る。日本人の若者と言えば、コーラを飲んで茶髪にピアス。ファストフードを歩きながら食べている。そうした姿に接する時、どちらが日本人なのかと首を傾げる。社会環境の変化と片付ければそれ迄であるが、文化の逆転現象が目立つ。
東寺弘法さんの市でも、お年よりは別として、若者が購入する物はピアス・イヤリング・ブレスレット等々。それも、外国人の露店に集まる。端切れや金蘭の衣・着物の古着・おでん・鯛焼き・竹細工等々に興味を示すのが外国人である。因みに、外国人さんが古着を大量購入するので伺ってみたら、これをガウン・バジャマ・ネグリージェに改装するのだそうだ。そして、この商売は意外にも盛んだし儲かるとの事。日本文化の一端を、彼等の生活の中に採り入れているのだ。


本日の催し物と掛けまして、私の着ている着物と解きます。その心は“着て(来て)みて良かった。着て(来て)みて良かった。”万才・万才。
噺家がよく使う謎掛けの一つです。日本の伝統文化の一つ、着物。着物文化の拠点でもあるが、着物は年々衰退の一途をたどる状況にある。何故なのだろう。着る回数の割に値段が高い。着るのが難しい。活動的でないから日常性に欠ける。理由は色々あるが、成人式・結婚式・卒業式・パーティーなど着物を着る機会はある。機会があるどころか、人生の区別・節目では着物姿が引き立つ。しかし着物文化は衰退している。
同様に衰退している文化に日本酒がある。尤も、日本酒の場合は、若い人だけでなく総じて酒離れだし、日本酒に変わる酒類が色々あるので、酒類全体としての総量は衰退していない話だ。
一口に着物と言っても、若い時分に着る振袖や気楽な浴衣もある。若い人の間での浴衣はブームである。着易いのと普段着感覚で値段も高くない。祇園祭での浴衣姿を見る限り、若者達の着物に対する興味はかなり持ち合わせていると感じる。されど、着物は縁遠くなりにけり。今日、着物を着る人は…と言えば、芸人を始め女将や仲居さん、踊りやお茶・お華の関係者など特殊組みでしかない。しかも、こうした人でも、常に着物姿とは限らず、むしろ営業用としてのユニホーム的色彩が濃い。
着物カップル来店者は割引にするとか、着物でタクシーに乗車すると安くなる。京都でも何かと“着物おこし”に躍起になっている。それでも上昇気運に乗らないのは何故だろうか。言うまでもなく、着物は日本文化の代表的なもの。着物は、一度作ると親から子へ、子から孫へと継続性が強い。洋服は、長くするか短くするかでしかない。着物デザインは独創の美にあり、其の姿には日本人のみならず外国人も感動する。


所で、因果応報なる仏教用語がある。前世で善行をした人、悪行をした人には夫々の報いがあり、それらの間には、何らかのつながりがある、と言う意味だが。東京都知事の椅子、何が因果めいている。今の若い年の方々は知らないが、かつて東京都知事に美濃部亮吉なる人がいた。オトッつあんは、美濃部達吉で憲法学者。天皇機関説を唱えた人である。その倅さんが東京都知事に就任した。美濃部スマイルで婦人達に人気があって何期も知事の座にいた。社会党を始め野党統一候補者で、しかも首都の知事、その上横浜・飛鳥田(後の社会党委員)名古屋・本山、京都・蜷川、大阪・黒田と、野党候補が当選し、“環太平洋ベルト”と称して、政権間近かと「野党」は狂喜乱舞したものであった。
中でも、首都の東京は何としても与党で確保したい。しかし、美濃部スマイルにかなわないのである。美濃部さんと言う人ゃ、迷民主主義を振り翳し、政策よりも迎合主義的な面が強く(社会党・共産党まで、自分の意思が中々主張できなかったのだろうか)、橋を架けるにしても、一人の反対があれば施策しない。などと妙ちくりんな発言が多く、事実そうした面が過剰であった。従って、政策面での片寄りや遅延は否めない。でも、美濃部スマイル強し。
そこで、最後の切り札として登場したのが石原慎太郎さんであった。時のスター石原裕次郎さん共々、兄弟人気と石原軍団で立ち向かったが、人気と得票は別もの。落選した。その後の石原慎太郎さんの経歴は記す迄もありません。そして、現在の東京都知事に就任された。石原さんの言動は、何かと話題になります。その評価は人により、当然のことながら様々である訳で。もう若くない石原さんが、常に次期首相待望者である裏側には、国民が“不足”と感じている部分を代弁しているからではなかろうか。
物質文明が余りにも優先する結果、人としての道徳や国家観が乱れ薄らいでいる。そうしたものへの発言が、良し悪しは別としてストレートで判り易い。政策の発想が官僚と一味違った発想にある。勿論、美濃部スマイルと違った人気もある。従って、今の石原さんを倒す候補者はいない。だが、国歌・国旗にみられるとおり、反対勢力としては“石原憎し”“目の上のタンコブ”に違いない。奇しくも、美濃部体制に謳歌した人々に対し、これを打倒すべく立候補した石原。それが今や逆の立場になっている。
当時、私は東京都民であり、こうした都政や選挙戦を見てきた一人であった。何か、因果めいたものを感じてならない。


当然紙面では、社説の対比のみならず、国歌・国旗に対して「朝日への批判」「朝日に賛成」を同時掲載している。これらは、当然ながら、批判と賛成であるから、双方の論旨は噛み合わない。賛成派は「教育に強制はつきもの」、反対派は「強制・押し付けは許さん」が要旨。
前に述べた通り、国歌・国旗の問題は、日の丸・君が代そのものが気にくわん。しかし、別の国旗・国歌ならいい(新しいものを創造する)なのか。朝日が認める通り、強制・押し付けはしないで貰いたい。基本的には、この問題は是認する。無論、現状賛成派が存在するわけだが、要するに国歌・国旗は必要という点に集約される。そう私は受け止める。
当時の朝日新聞の別記事を見て驚いた。「石原知事発言録」コーナーがあった。七段ものコーナーをさいているのだから、石原知事に対する肩入れ?は相当なものだ。私は現在関西に在住しているが、こうした大々的知事コーナーなど拝見したことはない。矢張り首都知事であり、首相にふさわしい人物にランクされる常連だからなのか。記事の内容であるが、此処でも「靖国参拝違憲判決」に関する記者会見での見解。「君が代」についての渋谷公会堂で開催された教育施策連絡会での発言。「都債の発行」に関わる記者会見。左の欄には「動静」と表示したコーナーがあって、一週間について大雑把ではあるが「動静」が記されている。
ここ迄やるか。新聞記者諸君には、××番なんというものがあって、その人に張り付いている。しかし、首相とて七段抜きの「動静」はあるまい。取材内容も、朝日お得意の「君が代・靖国」と来ては、別に石原さんの御贔屓ではないが、珍しき企画“社説の対比”(都教委のやり過ごしを暗に表明している)との連動の裏側に、石原憎し・石原バッシングの影が見え隠れしてならない。それ程までに、石原東京都知事の言動は、時の総理より重く興味津々と朝日は見ているのだろう。朝日の執念を感じた。


新聞は、日本の場合“朝刊・夕刊”のセットに依り一~二紙程度の購読である。多分一紙がダントツと思う。しかも、今日は毎日、来月は読売、次は産経ということは先ずない。長い間一紙に限定されるから、自分の所で購読している新聞は生活の一部であり、ファンにもなる。思想・信条などにも及ぼす影響が強い。テレビ・ラジオ欄一つにしても、撮影する場所や局の並べ方も違う。いつもの新聞と違うと、色々戸惑う点もあるが新鮮さや意外性を見出す場合も多い。
個人的には、地方に仕事に出かけた際は、できる限り“地方紙”を購入する。郷に入らば郷に従え、の格言通り、地域の生活・文化・視点が大新聞とは一味違ったものが随所に対面できる所が嬉しい。
さて、朝日の企画に話を戻すが、たまたま当時仕事で上京、この紙面に出会ったもので、この企画は興味深く目を通した…が。どうも、この勝負は些か朝日に部が悪いと思う。一般的に、国歌・国旗に関する朝日の姿勢は“No”であり、そう受け止められている。国旗を掲げるな、国家を歌うなと言うのではない。産経に対しては、日の丸や君が代が定着している事実を受け止めた上で…と断った上で「強制するな」と主張してきた。こうした文言を見て、おや?どこかで聞いた文言である。そう言えば、共産党が「天皇制」や「自衛隊」「国歌・国旗」について論議する時の常套表現である。
それと、いつから認めるようになった、と問われると、最初から掲げるなとも言ってない、そう反論している。この反論は、過去の朝日の姿勢から推理するに、説得力は薄いし遁辞としか思えない。都教委の姿勢に関しても、学校の自主性を認めていない。この点を強調するが…。たしかに、自主性は重要である。ただし、この自主性にも条件があろう。授業一つにとっても、自由で感性を必要としたり、求められるものもある。一方で、妥協をゆるさないような授業もある筈だ。
社会においても同様と考える。朝日新聞社とて、朝日の独自性や、この点は妥協しがたいものもあろう。だからこそ、朝日新聞もファンが付く。しかし、全てが自主性ある会社などありえない。まして、国家の根幹に関わる事項に、ある種の継続性なり画一性なり、規律は当然でしょう。朝日新聞が殊に友好を保持する「中国・ロシア」など、国家思想から始まって大部分が強制であり、思想及び良心の自由は束縛されていても朝日の評論は甘いですネ。


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